[プロフィール]
特定非営利活動法人楡の木会 エルムワークメイト 施設長
築地で魚屋とたまご屋での勤務経験を経て、エルムへ転職。
趣味は、スポーツ観戦全般。
何かあったらすぐに相談にのってくれるリベラルにとって
非常に心強いエルムの【大将】。
本音で語る障がい者雇用
2008年、同じ小岩の地で活動を開始。
エルムはこれまでのB型事業所に加え就労移行支援、リベラルは特例子会社を...
同じ年にスタートし、切磋琢磨しながら支え合ってきた日々を振り返りながら、【障がい者雇用の本音】に迫ります。
菅原 将 (すがわら まさる)
佐久間 賢 (さくま けん)
[プロフィール]
リベラル株式会社 管理課課長
設立当初は【軍曹】と呼ばれ、リベラルの知的障がい者の育成に携わり、社員を「職人」と呼ばれるまでに成長させた
指導者。
普段は、2人の娘をもつ父親。特技と趣味は、自慢の料理。
エルムワークメイトとリベラルの出会い、そして運命
こうやって改まって話をするのは、はじめてですかね。菅原さんとは身を置く環境は違いますが、障がい者と接するという共通点がありますから、今日はじっくり本音で障がい者雇用について話ができたらいいなと思っています。
よろしくお願いします。
さっそくですが本題に…菅原さんとの出会いは、ハローワーク主催の面接会でしたよね。2008年の春だったと思い返します。
そうですね。当時エルムは、一番最初の採用面接会だったんです。2008年4月から就労移行をスタートすることが決まっていたので、同じ小岩の地でリベラルの求人を見つけて、エルムから近くて、「これはチャンスだ」と思いました。
エルムとは、2008年4月という立ち上げが同じ時期で、運命を感じます。リベラルはゼロからのスタートだったので、面接会の会場に行っても、誰を雇用したらいいかわかりませんでした。そこで、上田常務と話し合い、お互い「この子と一緒に働きたいと思える人を採用しよう」と決めたことを覚えています。お互いのフィーリングを信じることにしました。
エルムからは、面接会へ4名連れて行きました。リベラルの仕事ができる確信はもてませんでしたが、とにかくその当時は「何かあったらすぐ駆けつけます」と伝えていました。実績がなかったので売り込むネタがなかったんです。だからそれを武器にしていましたね。
リベラルからは3名合格の連絡をいただいたのですが、1名は辞退させてもらったんです。その背景には、当時その子が薬を服用していたことがありました。副作用が懸念されたので、薬をやめられるまでは、その影響でうまくいかないと判断しました。普通に考えれば、なぜその子を面接会へ連れて行ったのかと疑問に思われるのに、当時はその判断すらつきませんでした。実際、合格の連絡をいただいた直後、薬の影響が出てしまったという事実がありました。
面接会に参加する準備が整っていなかったにもかかわらず、参加させてしまったことは、完全にノウハウ不足でした。そのような状況でチャレンジさせてもらったのが、リベラルの面接会でした。
私たちも、面接会は今振り返るとどうしたらいいかまったくわからない中での採用でした。
菅原さんは、採用される手ごたえはありましたか?
本人たちよりも自分たちはやることはやったから、これで例え合格がもらえなくても次に活かそうと話していました。その後に、良いお返事をいただけたので、とにかくリベラルに尽くそうと思いました。エルムからの人選の理由が、自分が会社を経営した時に雇用したいなと思う子だったんですね。
私たちも、どのレベルの仕事ができるかより、先ほどもお話しした通り、【この子と一緒に働きたい】を重視したんです。そういうことも含めご縁を感じますね。エルムとは、偶然が重なって出会ったと思っています。リベラルが小岩に会社を立ち上げるそのタイミングで、エルムは就労移行をスタートさせたんですもんね。
エルムには本当によく相談に乗ってもらっていました。それは今も変わりません。
悩みの尽きない毎日をエルムに助けられて
前職が、障がい者支援と畑違いの仕事をしていまして、2008年当初は、まだエルムに入職して3年目でした。ですからわからないことだらけでしたね。
そんなことは全く感じませんでしたよ。当時から本当に色々とアドバイスをもらっていて、今でも忘れないのが設立当初、作業用の道具入れを全員共有で使用していたんですね。それに気づいた菅原さんが、「個別にかごに入れて、保管した方がいい」とアドバイスをくれたんです。それを聞いてすぐに、自転車でダイソーへ行きましたね。
結果、今も個人で清掃道具BOXを保有する体制が続いています。あの時のアドバイスのおかげです。本当にお世話になってきたんですよ。先ほど菅原さんも言っていましたけど、当時「何かあったらすぐ行きます」と言ってくださったことも、今でもはっきり覚えていますし、だからこちらも「何かあったらすぐ連絡しよう」とそう頼らせていただいてきました。
企業を訪問すること自体、当時は緊張していたのですが、ある日リベラルから着信が入り「何か問題が起こったのか」と思い「すぐ行きます」とリベラルへ向かいました。案内された部屋に、一枚の写真が飾られていて、神妙な雰囲気なのに、どうしても写真が気になってしまって話の途中で聴いていてしまったんですよ。「この写真は何ですか?」と。だって、佐久間さんがチャンピオンベルトをはめてファイティングポーズしている写真なんですよ!もう可笑しくて(笑)その写真の説明を聞きながら、リベラルってこういう会社なんだな、変に堅苦しい雰囲気ではなくて、ざっくばらんに話し合える会社かもしれないと、あの一枚の写真でそう思えました。
覚えています、覚えています!(笑)「この写真何ですか?」と(笑)
この出来事をきっかけに、私の方もリベラルに対するイメージも安定し、色々と物事を言いやすくなってとても感謝しています。
障がい者と接する仕事をしていることを誇りに思う
菅原さんはこの仕事を始めたきっかけって何かあったんですか?この障がい者と接する仕事をしていて、菅原さんでも判断に悩んだり迷ったりすることってあるんですか?
私の母が学校の養護教諭をしていたこともあり、子どもの頃から、その日に起こった話を聞いていました。母が勤めていた学校の養護学級の話を聞いて興味をもち、私も障がい者と接する仕事をしたいと思ったのもエルムに転職した理由のひとつです。当時、夏休みは母が働いている学校へ一緒に行き、養護学級のみなさんに宿題を教えてもらったり、一緒にプールで遊んだりしていた経験があったので、エルムに入って急に大きな声をあげる人がいても驚くこともなく、すんなり受け入れられました。
佐久間さんから質問のあった判断に悩むかどうかは、正直【悩む】が答えです。ただ、この仕事をしていて、障がい者と接する仕事に自分が合っていないと思ったことはないです。それを思ってしまうと、彼らと本気で向き合えないんです。自信をもって伝えないと、信じてもらえない、信頼関係を築かないといい方向にいかないんです。色々な壁はあります、いまだにあるんです。
「こうしなさい」と伝えても、疑問がとれたことはありません。自信がないのとは違うんですけど、「絶対100%正解だよ」というのはなく、「この方がいいよ」とアドバイスできても、それが100%にはなりません。
だけど、それはもちろん見せないようにしています。そのために自分で調べたり、先に就労移行の仕事をされていた人たちに教わりに行って勉強してきました。本気で向き合うためには、理念に加え、私自身の信念や知識も必要だと思っています。向いていないと思わないために、自分に自信をもつために勉強してきましたね。
向き合うということを考えた時に私も一緒で、こっちが不安な気持ちでは話ができないんです。相手のことを本気で考える、強い信念をもって向き合わないと、言葉は相手に伝わらない。言葉に想い(思い)をのせるのは難しいですけど、この子には難しいなと少しでも考えてしまった時点で、言葉は届かなくなってしまう。
以前、エルムに勉強のため実習をさせていただいた時、B型事業所を見て驚いたんです。指導員の方が真剣に障がい者のみなさんと向き合っていて、それを見て、リベラルでの私の指導が「間違っていなかった」と確信できた瞬間でもありました。
見据えるのは障がい者の未来
障害というハンディキャップがあっても、"頑張り"や"努力"が必要というのがエルムの考えです。今は福祉サービスがすごく充実していて、それらを全て利用することができます。ただ、全てをやってもらってしまったら「生きている」と本当に言えるのか?というのがエルムの疑問です。
よく、障がい者雇用では【差別のない世の中】という言葉が使われますが、福祉サービスが手厚くなった今、それを全て利用してしまったら本当の意味で【差別がない】と言えるのでしょうか?障がいがあろうとなかろうと同じに判断されることが平等であって、ただ実際はそういうわけにはいかないので、障がい者は守られているといえます。何でもかんでも、できるようになるのは無理だとしても、「ここは自分で頑張ります、でもここは手伝ってください、ここだけはできないので助けてください」と頑張る努力をすれば、将来的に多くの人から助けてもらえるようになると思っています。「やってもらうより自分でできることを増やしましょう」というのが、エルムの方針です。エルムの職員も障がい者と一緒に努力し、天井を決めずやれることを増やしていくことで、おのずとエルムの方向性が定まってきました。これはリベラルの「障がい者を職人に育てる」という考えと似ていると思っています。
よく言うのですが、いま大変でも、30年後に"活きてほしい"と思っています。年を重ね、親が亡くなり誰かの支えが必要になったとき、障がいがあるからやってもらうのが当然ではなく、「これだけは自分で練習してきたからできます、でもこれは難しいから手伝ってください」と言える人の方が【生きている】と言えると思いますし、生かされているわけではないと思います。
今の努力が活かされるよう、エルムの就労移行もB型事業所も共にそこを目指しています。
それを考えている菅原さんには、正直リベラルがどう映っているか聞きたいです。
正直なところ、うらやましかったです。福祉作業所と企業って、あらゆる意味で”自由度”が違うと思っています。自由度というのは評価もそうですし、集められる資源、お金の使い方が含まれます。
その一方、企業というのはやり方ひとつで業績が傾くこともありますよね。私たち福祉作業所は税金でやらせていただけているので、急に傾くことはありませんが、その分守るべき制約がたくさんあります。
リベラルを見ていると”自由度”を発揮しながら、決して楽をせず、すごく努力をされているなと感じています。現状に満足しないで、常に職域を拡げる姿勢が見られますし、障がい者に対する評価制度が素晴らしいです。だから、リベラルで働く社員たちはモチベーションが上がっていくんだなと思います。
そんな風に見えてました?!そんなに褒めてもらうと恥ずかしいです。
リベラルが小岩から現在の西葛西に移転をしたときは、忘れられてしまわないか危機感を抱きましたね(笑)応援したいんですけど複雑で。今もまた西葛西の地からどこか行かないか心配です!(笑)
ただ、本当にすごいと思うのは、どんどん人数が増えているのに、「仕事がない、やることがない」って一度も聞いたことがありません。社会情勢って波があるじゃないですか、そんな中で「忙しい」って言葉しか聞いたことがないんです。その馬力と適材適所、スピーディーにその社員にあった仕事が用意されているところは、すごいなと思います。
そう言ってもらえると嬉しいんですけど、ただ菅原さんから比べたら私も上田も福祉のことを当時何もわからないふたりだったので・・・こんな私たちが責任者で不安を感じませんでしたか?
リベラルに対しての不安はまったくありませんでした。逆に当時のエルムは不安だらけでした。こちらがリベラルに迷惑をかけてしまわないか心配で心配で。
私たちも、立ち上げたばかりの会社でしたから、正直心配や不安しかありませんでした。ただやる気はありましたけどね(笑)リベラルとしては、先ほども言った通り、エルムが不安を感じていないか気がかりでした。
当時の所長が、迷惑をかけたらすぐ引き取るという方針だったんです。「それが障がいなので」とならずに、障がいがあっても迷惑をかけてしまうのなら、すぐに引き取るという考えが私と一致していました。あとは、「佐久間さんと上田さんにお任せすればいい」と、そう思っていました。企業が障がい者にどれだけ配慮するかを求められている世の中ですが、それは違うと私は思います。
「本人がどれだけ企業に合わせられるか、どれだけ努力できるか」それが大切だと思っています。
リベラルに入社したあと、何人か問題があってエルムに戻しましたよね。どんなに複雑な内容でも、それでも全部引き受けてくださって「もう!」って思わなかったですか?
思ってないです!逆に、再生のチャンスをいただいたとありがたく捉えています。
ただ、社員をエルムに戻したのは1回じゃないですからね・・・。私から見たエルムは「何かあったらいつでもエルム」なんですよ。障がい者雇用のことでどうしたらいいんだろうと思ったら、まずはエルムに電話をかけています。「ちょっと聞いていいですか、こういう時って・・・」に対して、的確なアドバイスをいつももらうことができます。自分の中では、「こうだろう」という考えはあるものの自信がない時は、菅原さんに意見を聞くようにしています。菅原さんの「こうだと思います」という意見は、自分の考えと一緒なので、「これで間違っていなかったんだ」と安心し、確信がもてます。
今までそういうところで意見が食い違ったことはないですね。いつも頼りがいのあるエルムに支えられています。何をとっても尊敬できるんです、フォローに関しても、【定着支援】という言葉が注目される前から、期間を超えて、リベラルまで足を運んで、話を聞いてもらったり、相談に乗ってもらったりと、頭が上がらないです。
当事者の立場を考えた選択肢、マッチング
企業によって採用する障がい者に求めている優先順位は違ってきます。リベラルの場合、マニュアル通りにしなければいけないというより、諦めない気持ちだったり、元気さだったりを重要視する会社です。
エルムで毎日一緒に過ごしながら、どの子がどの企業向きか見極めています。どう見極めるかといういうと、そこはもう"感覚"なんです。エルムは就労移行でも、座学はないし、パソコンもやらないし、清掃作業もありませんし、毎日軽作業をガンガンやるんです。ただ、職種は違っても毎日軽作業をやることによって、本人が疲れた時の姿勢とか、忙しい時にどうさぼるかとか、見ているとわかってきます。それは、就職した後にも出ることだと思うんです。
手先の器用不器用、理解力の高い低いの個人差が出ますが、諦めない気持ちや本人の努力する姿勢を大切にしています。
【諦めないこと】それって大事ですよね。企業側としても、そこは大切に思っています。エルムからリベラルへ入社したメンバーは、個性豊かで障がい特性もバラバラで、でもみんなリベラルで辞めずに頑張っています。
あとは作業で使用する部材やモノを大事に扱えること。それらを大切に扱うことを教えなければならないし、そういうのを見てマッチングを考えています。企業から採用の予定があると言われても、すぐ返答せず、その企業にマッチする人がいるかを真剣に考えます。もし仮にリベラルに向いているなと感じたら、他社の求人が出ても応募はしません(笑)
どの企業に向いているかってすごく大事だと思うんです。求人が出てすぐ応募では、本人の適性と合う合わないがありますよね。
ただ、私がこの子はこの企業向きだと思っていても、必ずしも定着するとは限らないです。理由は単純で、「給与が高いところに行きたい」とか、「事務ではなく清掃の仕事がしたくなった」とかそういう理由で離職してしまう場合があります。会社に行き出すと社会性も高まります。これまでのエルムと家との通勤に比べ、目に入る情報が増え、そうなると様々なことに興味が出てくる、それには軍資金が必要になるわけです。清掃の仕事をしている友人の話を聞いて、事務の仕事ではなく清掃の仕事に興味が出てくるなど、人それぞれで様々な理由があります。
先ほども話した通り、リベラルはありがたいことにエルムから就職したメンバーは誰一人離職していないんですよね、職場定着率100%です。
菅原さんに連絡をとると、いつもすぐ対応してくれるので、企業としてすごく助かっているんです。だから安心していられるんです。エルムとリベラルの関係って私の中では、特殊なんです。支援機関と企業の枠組みを超えた"同士"のような関係なんですよね。そうじゃないとリベラルの忘年会に呼びませんから(笑)
忘年会行きましたね、そんなこともありました(笑)
支援機関と企業の関係性
菅原さんが企業とうまく連携していく中で、大事だと思うことって何ですか。
私が思う企業との連携に欠かせないのは"情報提供"と"本人の改善"です。
まず、エルムでは"障がい者"として向き合うのではなく、ひとりの人間として向き合うべきだと考えています。今できなくても練習すればできるようになるというような発想で人格形成をしていく訓練を日々しています。
企業で何か問題が起きたとき、その時いかに本人の情報をエルムが企業に提供できるかを重視しています。親とまでは言わないですけど、本人の情報は、基本情報、障がい特性もそうですし普段の様子を事細かくできる限り把握して、情報提供し、色々なことを知っていれば、企業のどの場面で問題が出ても、「こういうアプローチができませんかね」と話ができます。同時に、本人に説明をし、間違っていたことを理解させます。
ただ、なんでもかんでも企業に合わせてくれというのは、それは私は違うと思っているので、その場合は「こういう声かけに変えてもらえませんか」と企業にお願いをしています。それでも、多くの場合は本人の改善が必要なので、そちらはしっかりとフォローしていきます。
何かあった時に、こうした方が良いという改善策だったりパターンを教えてもらえたりすることは企業としてはとても助かります。
リベラルは、もし何かあった時はまず自分たちでどうやって解決しようかと考えてくれるんです。"どうしても"の時になって初めて連絡がくるので、私たちは助かっているんです。それは面倒だという問題ではなくて、そういったリベラルの姿勢を見せられると、フォローも一生懸命したくなります。企業がここまで考えて、手を変え品を変え本人のためにやってくれたんだったら、それでもなかなかうまくいかなくて悩んでいるようであれば力になりたいと思います。
実はこれまでも、企業の中でキーマンと思われる人とお話した時に、障がい者雇用に対しての考えが理解しがたく共感できなかった場合は、求人が出ても申し込まなかったこともありました(笑)
担当者で変わるというのはすごくよくわかります。リベラルの場合、実習がそうです。先生方とたくさんお会いしてきたので、担当の先生で考え方が全然違うのを経験してきました。
菅原さんが足を運んで、理解しがたいと思ったのであれば、それが正解だと私も思います。もしそのままその企業に入社させても、何かあったときに、価値観が違えばこちら側が何か発言しても「そういうことは求めていないから」と言われそうじゃないですか。
そういえば、話はまったく変わるのですが、私、リベラルだけなんですよ、スーツ着ないの(笑)
一度スーツを着てリベラルへ行ったら、佐久間さんに「なんでそんな恰好してるんですか?!」って言われて、それ以来ジーパンとTシャツです。リベラルだけです(笑)
それだけの関係性ってことです、エルムとリベラルは(笑)
菅原さんがこの仕事を始めてから、障がい者雇用や障がい者支援に関して大きな変化ってありましたか?
今企業を訪問して思うことは、すごく窮屈になったなと感じます。私がこの仕事を始めた10年以上前は、今ほど窮屈じゃなかったと思います。当時に比べると、合理的配慮という言葉やさまざまな防止法が増えているんです。
企業イメージが大事ですから、コンプライアンスが以前よりも細かく厳しくなった中で、障がい者雇用を進めていくと、現場で働いている人は、上から色々と言われるはずです。だから私が訪問して厳しく叱ると、みなさんすごくホッとした顔をされるんです。企業の担当者さんが言えないことを、私がズバズバ言うので。
また、就労移行は新卒が多いんですが、10年以上前の子たちと比べると大きく変わってきています。昔はもっと打たれ強かったりしたのですが、今は守られて成長しているので、物心ついた時から、やってもらって当たり前みたいな甘えに似た環境です。ただ情報はネットで収集できるので「会社に行きたいです」「お金が欲しいです」「でも自分で努力とか我慢はしたくないです」という雰囲気なんです。親もそのような環境を経験しているので。希望を言えば叶えられる世の中だと考えている方も多くいらっしゃいます。
意思決定支援は、本人の希望を全部叶えていいという法律ではないと言っているんですが、そこをはき違えている方が増えているのも事実です。企業も今はすごく窮屈ですから、優秀な子を求めるんです。「育てる」「長い目で見ていく」というのが昔はあったんです。でも今は、先ほども言った通り企業側が窮屈なので、手のかからない子でと考えているんです。なので本人、親の希望と窮屈になった企業をマッチングさせるのがすごく難しいです。
エルムでは、発達の子や中軽度の方も対象としているので、手のかからない子といったら嘘になるんですね、そうなった時に難しいなと、私はそう感じています。
リベラルでは、厳しくする時も、障がい者の顔色を伺ったり、保護者の顔色を伺ったりはまったくしませんからね。
本当にそこが共感なんですよ。もしかしたらうちも同じです。エルムは江戸川区で厳しい事業所ということで有名なんですが、私たちは当たり前のことをやっているだけという自信があって、そういう部分を含めて、エルムの方針は曲げられないですね。
わかりますね、菅原さんの熱い気持ちが伝わります。
本人に𠮟りもしないで、希望全部叶えてみようとなると、手に負えません。私はリベラルの考えに共感しているので、安心してお任せできると思っています。
考え方が似てるんですね。障がい者に対する向き合い方だったり、これから先どうしていかなきゃいけないという考えであったり、そういうところがあるから、エルムとはこの10年間以上一緒にやってこられているんだと思うんですよ。
安心してもらえるのは、こちらとしては嬉しいです。これから先も連携をとって良い方向に、エルムとリベラルだけじゃなく、こういう支援機関と企業の関係性が大事なんだよってことを周りの支援機関にも知ってもらいたいです。職場定着支援というのがあるくらいなかなか就労が続かないところが多い中、リベラルは離職率が低いんです。それは「すぐ行きます」と言ってもらえるエルムの存在があるからです。本当に助かっています。だからこういう関係性って大事なんでしょうね。
夢を語る
今後のエルムの夢ってありますか。
まずは、あらゆる意味で物理的に広く大きくしたいというのがあります。ロット数が多い仕事を受注して、部材も置いておければ仕事も増えますし、定員も増やして工賃も上げられます。
もうひとつは、エルムの理念や信念を続けていって、それが実れば嬉しいです。【親亡き後】って言葉がありますが、これは親の不安の表れなのかなと感じています。親が本当に自分の体が動かなくなった時に、安心できるような子であるためには、子どもに頑張って成長していってもらわなければなりません。福祉サービスも充実していますが、それだけを利用するのではなく、【自分で生きる】そのお手伝いをするのが私たちエルムの役割であり、その実現が【夢】ですね。
その夢、エルムで叶えてほしいです。
今、様々な福祉サービスを受けながら、さらにサービスも増え、かゆいところに手が届く恩恵を全員が受けられるような現状の中、本来やれることなのにやらなくて済んでしまい、本人にとっては福祉の面ではいいのかもしれませんが、成長や自立というところでは、それがかえって弊害になってしまうと感じています。
菅原さんそこはどうお考えですか?
まったく必要のないサービスとは思わないですけど、本当に必要な人が利用して、不必要な人は「自分でできます」と言えればいいと思っています。使わなきゃ損という風潮が無きにしも非ず、それは違うのではないかなと思います。
それはありますね。
菅原さんは、今リベラルで働いているエルム出身の12名にはどうなってほしいと思っていますか。
「まったく迷惑をかけるな」とはいわないですけど、【自分で生きていってほしい】そう思います。誰かにやってもらい続けるのではなくて、出来る限り自分の力で生きていってほしいです。
それってなかなか福祉の人が言わないですよね、すごい!
どうしても困ったときに、もちろん助けを求めるのは構わないですが、できるだけ自分の力で生きていってほしい。それがやっぱり生きるということなので、生かされないでほしいです。
かっこいい!エルムから「リベラル向きの子がいる」と声がかかると嬉しいんですよ。と、同時に「リベラル向きの子は今いない」と言われるのも嬉しいんです。定着ということを考えたときに、本人の適正などを判断してくれているのは、リベラルとしてとてもありがたいことです。そういう風にきちんと言ってもらえるから、リベラルに入社希望の子はしっかり見なくてはという気持ちになります。菅原さんがリベラルに合うと選んだ子は、誰も辞めていないですし、12名のうち5名は勤続10年表彰を受けていますから、本当に感謝しています。(2022年9月現在)
そう、話は変わりますが先日企業在籍型ジョブコーチの資格を取得してきたんです。もともと私は、ジョブコーチ反対派だったんです。なぜなら福祉的なことしか言わないイメージが強かったので。でも、先日講習を受けて、受講して良かったと思いました。こういう考えももった方がいいなと、新しい発見もあり、こういう考え方も必要なんだと思いました。会社設立して15年目にしての取得でしたが、日々ジョブコーチと同じようなことはしてきたと自負はしているんです。散々ジョブコーチを批判してきたんですけどね、反省しています(笑)
佐久間さんの場合、肩書や資格について聞かれることって多いですか?
私の場合、主任や施設長という肩書を名刺に入れるだけで、話をきいてもらえるんですよね(笑)
そういうのありますよね。良く聞かれるんですよ、「ジョブコーチお持ちなんですか」って。でも「私、ジョブコーチ嫌いなんで」と言い続け、これだけ言われるならと、今回取得しましたけど、本質的には今までと変わりません。取得したから安心というわけではなく、まだまだ成長しなければならないと思っています。次のメンバーにも取得をさせたいと思っていますし、まだまだ課題があるので、ジョブコーチをとることで社員にも成長してもらいたいと思っています。
職員の質をあげていきたいというのはありますね、でも忙しくなかなか研修をやる時間がとれないのが現状です。
リベラルも課題はたくさんです。これから先を考えると、現状維持ではなく進化しなければならないですし、挑戦も必要になってきます。雇用した障がい者の高齢化の問題も含め、まだまだやらなければならないこと、やるべきこと、やりたいことは山積みです。
そして本来なら、雇用した障がい者はリベラルで見ていかなければならないところ、エルムに生活面だけでなく仕事面でも介入してもらっているので、本当に申し訳ないです。
結局のところ、私と彼らの関係ってトップダウンになる場合が多いんですけど、本人たちがわかるまでは続ける必要があって、徐々に浸透させていっています。作業が思うように進まない子には、比喩を使って伝えることもあります。例えば、「ダムをせき止めてないか」と確認するんです。そういう表現が好きな子にはそれが効果的で「ダムをせき止めてしまったら次の作業を待っている人を待たせてしまうから」と伝えるなどしています。このように、ひとりひとり対応を変えていますね。
すごく向き合ってもらっていると改めて感謝しています。エルムはリベラルだけの面倒を見ればいいわけではないのに、すごくお世話になっています。
菅原さん、またリベラルの忘年会来ます?!(笑)いつでも大歓迎です。
エルムとは、良い意味で腐れ縁だと思っています。要するに、リベラルはエルムが好きなんですよね。これからもどうぞよろしくお願いします。
エルム出身のメンバーをよろしくお願いします!