Riberal Days
私の闘病生活は、看護師さんの存在なしに語ることはできません
※前回の投稿(劇症型心筋炎闘病記①)こちら
劇症型心筋炎による心停止を経験し、自らが生死を彷徨う経験をしてから、
ICUではナースコールが常に自分の目と手が届く位置にないと、不安で仕方ありませんでした。
ICUでは、モニタで数値を厳重に管理してくれているので、
実際は自分で体調不良を訴える前に、看護師さんや先生が駆けつけてくれていたので
何の心配もせずに治療に専念できる環境であったにもかかわらず、
それでもとにかく死に対する恐怖心が強かったと思い返します。
今振り返っても、私の命を救うために本当に多くの人が動いてくださったことに
心から感謝しています。
御礼の言葉を言うだけでは、到底この気持ちを伝えきれませんし、
手紙だけでも御礼を伝えきれません。
私自身笑顔で過ごすことが、今もこれからもできる唯一の恩返しかなと思っています。
私が麻酔下で眠っている時も、看護師さんたちが共に闘ってくれていたことを知りました。
今日は、そんな看護師さんたちと乗り越えた闘病の日々を記そうと思います。
入院中、本当にたくさんの人に助けてもらいましたが、
特に看護師さんがいつも心寄り添い、味方でいてくれました。
ICUではとにかく私の気持ちを尊重してくれて
「痛い治療法をどうにか変えられないか」「少しでも痛みが軽減する手段はないか」
と先生へ交渉してくれた看護師さんもいました。
体を張って私と共に痛みを乗り越えてくれた当時のICUの師長さんをはじめとする
看護師さんたちと過ごしたICUでの約一ヶ月に及んだ日々。
痛く辛い治療が続きましたが、看護師さんたちが励ましの言葉をかけてくれたり
手を握ってくれたりと、共に闘ってくれたことで孤独を感じることはありませんでした。
「痛い...」「苦しい...」
つい弱気な言葉が出てしまう私に、
『こんなに大きな手術したんだから、痛くないわけないって!』
看護師さんたちは、そう元気に返してくれました。
「頑張れ!!」「大丈夫!!」といった類の言葉ではなく、
『痛いのは当然!(^^)!』という言葉に、何度も励まされていました。
ICUでは、家族よりも看護師さんやME(臨床工学技士)さんと過ごす時間が長く、
家族や友人と過ごすことができないさみしさを忘れさせてくれようと
いつも世間話で笑わせてくれました。
そんな他愛のない話が、私の痛みを和らげ、辛い中でも"笑う"ということの大切さを
実感しました。
「ひとりで食べる病院食は、なかなか進まない...」と口にしたことがありました。
それを聞いた看護師さんが、電子カルテを入力するパソコンを台ごと私の姿が見える位置へ移動してくれました。
『よーし!これでさみしくないよ!』
なんと看護師さんが電子カルテを入力しながら、私と会話できるようにしてくれました。
ベッドの上で全介護の日が続きましたが、挙げたらキリがない沢山のエピソード。
「シャンプーが一日の中で一番楽しみ!」と私が話した日から、
私が気分転換できるようにと毎日シャンプーをしてくれました。
体を前へ倒すことができず、寝ながら快適にシャンプーができるようにと
『内緒でシャンプー台を借りてくる!』と、看護師さんが
病棟からシャンプー台を持ってきてくれたこともありました。その後、
『シャンプー台片付けないで置いといたら、師長さんにバレて怒られちゃったー!アハハ!』
そう言いながら、ケラケラと笑っていた看護師さんの明るい表情が今でも忘れられません。
ある時には、看護師さんが家からアロマを持ってきてくれて、足湯をしてくれたこともありました。
長い期間お風呂に入れなかったので、どれだけ気持ちよかったか。
私が退屈しないようにと、アイドルグループのDVDを持ってきてくれた看護師さんもいました。
底抜けに明るい看護師さんたち。本当に縁に恵まれました。
ICUの看護師さんには、一番お世話になったと思います。
「あなたのことは、これから先看護師人生の中で決して忘れないと思う」
入院中そう言葉をかけてくれたICUの看護師さんがいました。
私が別の大学病院から搬送されてきた時、
普通の救急車ではなく、東京都で当時1台しかなかった巨大な救急車に
乗せられ、たくさんの機械に繋がれていたそうです。
心臓は動いていなく、助かるかどうかも50%以下の確率だったと。
だからこそ、回復していく姿を間近で見ることができて嬉しいとそう看護師さんから聞きました。
ある看護師さんが言いました。
『やっぱり、医療にゴールはないんだよね』と。
そして今、私はこう思いながら仕事をしています。
「障がい者雇用にゴールはない」と。
分野は違えど、共にゴールのない道で日々奮闘しながら
私も誰かの役に立つことができるような人間になれるよう
今の自分ができることに精一杯向き合おうと思っています。
"生きられるかもしれない"という僅かな可能性を捨てずに
諦めずに向き合ってくれた医療現場で働くみなさんに心からの敬意を表して...